日本語の連濁は、長い間国語学界の謎とされてきた
by iwaoka3
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「連濁と日本語」 はじめに 
 我々は日常、言葉が自然に口から出てくる。それがどんな規則によって話されているかなど考えない。無意識の内に皆が同じ規則に従って話している。その規則が文法である。だが、文法と聞いただけで頭が痛くなる。しかし、我々日本人は無意識の内に文法をきちんと理解し、文法に従った文を作ることができる。
これから述べる研究は、その日本人が無意識にもってはいるが、どんな規則によってそうなるのか分からなかったことについて見てゆきたい。
日本人が持っている言語意識と、日本語の新しい側面が見えてくる。
それを「連濁」という現象を通してみてゆきたい。その連濁の生じる条件を見てゆくと、日本人が日本語について無意識のうちに、どんな認識を持っているのかということも明らかになってくる。
それが日本文化と密接につながっていることも分かる。

 日本語は単語の数をふやすために、二つの言葉を結び合せて複合語を多く作った。この言葉と言葉を結び合わせて複合語を作るとき、後ろの言葉の頭の清音が濁音に変ることを連濁という。
「勉強」と「嫌い」で「勉強ぎらい」
「花」と「盛り」で「花ざかり」
「神」と「頼み」で「神だのみ」
「噂」と「話」で「噂ばなし」
「勉強」「花」「神」のような複合語の前半にくる言葉を前項、「嫌い」「盛り」「頼み」のような後半にくる言葉を後項と呼ぶことにする。
連濁はカ・サ・タ・ハ行音に起こる。その四行の音節は無声子音と母音の組合せで出来ている。有声子音と母音による音節の組合せであるナ・マ・ヤ・ラ・ワ行には連濁は起きない。 ka sa ta ha の無声子音がga za da ba(pa)の有声母音に変化するのが連濁である。
しかし「三階ガイ・三回カイ」を見れば分るように、全ての言葉に連濁がおきる訳ではない。後項の言葉が連濁を起す言葉と起さない言葉がある。それにはどんな条件があるのだろうか。これは長い間、国語学界の謎とされてきた。

 日本人がこれまであまり興味を持たなかった事の一つに、連濁という現象があった。古い日本語の研究は、江戸時代に盛んになった。しかし、連濁は長い間、日本人にはあまり省みられなかった。室町末期に日本に来たヨーロッパ人が興味を示したのが最初である。
室町時代からロドリーゲス(畳語について)やライマン、チェンバレン、ヘボン等外国人の説がある。いずれも部分的な説で、連濁の謎を全面的に解き明かすには至っていない。
連濁に関して、古くは外国人の説が多く日本人の説がほとんどなかったのは何故か。それは、日本人にとってはごく当たり前の事が、外国人には難しかったからである。例えば、物を数える時、人間は「ひとり ふたり さんにん」。紙は「いちまい にまい さんまい」。値段は「ひゃくえん にひゃくえん さんびゃくえん」となる。鉛筆は「1ぽん 2ほん 3ぼん」とホンが ポンになったり ボン になったりする。数えるものによって、使う言葉がそれぞれ異なるうえに、「ひゃく」がビャクになったりする。日本人なら子供の時から自然に言葉が出てきて、これを間違えることはない。問題がおこらないから、注目しなかった。

 神様は「死に神 貧乏神 守り神 女神」等が連濁をおこし、「天照大御神 なる神 山の神」等は連濁をおこさない。
連濁をおこすには、いろいろな要因がある。
連濁には、これまで目を向けられなかった日本語の特徴が多く込められている。

 言葉は年々変化していく。枕詞「天翔ガケる」は万葉集では「ガケル」であるが日葡辞書(17世紀始め)では「アマカケル」である。「足引の」は万葉集では「アシヒキノ」であるが、後には「アシビキノ」となった。一つの言葉でも時代によって清音であったり、濁音であったりする。 
言葉は文化や歴史と密接な関係があるので、中には古い言葉も出てくるがなるべく新しい言葉をとりあげた。連濁は話し言葉におこるから。
農業や商業や工業に携わる集団の中での専門用語等も、連濁による使い分けがあるようである。しかし、専門的な知識に基づく言葉の使い分けは我々には難しい。
また、武士の世の中では、独特の思想や生活、衣装や刀等に関する用語がある。
いろいろな用語がその集団の中で、連濁によって、詳しく使い分けられていた。
連濁は、日常使い慣れた言葉が必要に迫られておきるのである。
この研究では、現在の言葉を主に解説したい。

 この研究は広辞苑第四版を基にした。濁音か清音か、その言葉の意味・読み仮名・送り仮名など全て広辞苑に従った。
読みにくいと思われる語の読み仮名は、小さなカタカナで漢字の右側に付け加えたものもある。
日本語は今の日本で普通に使われている言葉である。大和言葉に多くの漢語や多少の外来語が混じり合った言葉である。
日常あまり使わなかったり、使い慣れていない漢語や外来語は連濁をおこさない。
最近、英語などの西欧の言葉が数多く入ってきた。しかし、それらの言葉は今のところ外国の言葉であり、日本語のように自由自在に使いこなすのは難しい。このような言葉は連濁をおこさない。また、その意味を正確には理解出来ていない言葉も多い。新しい文化と共に入ってきた外国語(多くは名詞)が日常使われている。それらの外来語は、日本語に置き換えられない言葉も多い。その中には、長い年月の後に、日本語となって連濁をおこす言葉がでてくることも考えられる。その時も、これから述べる連濁の基本的な規則だけは受け継がれる。

 この研究は、私の大学時代の恩師大野晋先生が、最初から最後までご指導下さったお陰で完成した。先生のライフワークとも言える「弥生文明と南インド」(岩波書店)のお忙しいご研究中にも拘わらず、全て目を通してアドバイスをいただいた。ここに心からの感謝とお礼を申し上げるとともに、昨年八月にご逝去なさった先生のご冥福をお祈りいたします。
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by iwaoka3 | 2009-01-01 23:46
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