日本語の連濁は、長い間国語学界の謎とされてきた
by iwaoka3
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連濁と日本語の特徴 
 我々が日常何気なく話している日本語には、今までの文法だけでは説明できないこともあった。日本語のもつ曖昧さや、言葉の意味の範囲がはっきりしないことも多い。文法用語に関しても、定義や範囲が明確でないものも多い。
接頭語、接尾語、畳語、擬音語、擬態語等がどのような特徴をもつ言葉なのか。定義や特徴が曖昧なまま使われてきた。
連濁の規則を見てゆく上で、これらの言葉の定義をはっきりさせることが必要である。そして、連濁がこれらの言葉の区別を表していることが明らかになってきた。
この他にも、いくつかの特殊な言葉のグループがある。それも連濁によって区別されていることが判明した。これらの特殊な言葉は、後に述べる連濁の一般的な規則とは別の独立したものである。
ここでは連濁とこれらの特殊な言葉についてみてゆきたい。まずは、連濁と関係のある日本語の特徴を簡単にとりあげてみよう。

一 複合語 
 日本語は単語の数が限られているが、非常に繊細な表現が多い。より豊かな表現をしようとすると、一つの単語では満足のゆく表現が出来なくなる。そこで、他の単語と結び合わせた複合語が多く使われるようになった。中には二つの単語では足りなくて「落ち着き払う」「見込み違い」「薄気味悪い」「青田刈り」のように、三つも単語を重ねる例もある。
単語の中には「する」「込む」「止サす」のように、単独ではあまり使われない言葉もある。「勉強する」「飛び込む」「食べ止す」のように、他の言葉と結びついて初めて具体的な意味が分かるようになる。
複合語が出来る時、名詞は「草の花→草花バナ 山の神→山神ガミ」のように、助詞「の」の脱落によって一語となった言葉も多い。
形容詞は「青い空→青空 丸い顔→丸顔 長い話→長話バナシ」のように、前項は語幹のみとなる。形容詞の語幹は名詞である。
日本語にはこのような複合語が非常に多い。
連濁はこの言葉と言葉を結び合わせた複合語に起こる。

二、濁音ではじまる言葉 
 日本語は大和言葉(和語)に多くの漢語と多少の外来語が混じり合った言葉であると前にも述べた。
本来和語には、濁音で始まる言葉がなかった。「出る」「抱く」は古くは「いでる」「いだく」であった。語頭の「い」が脱落したものである。
「だるい」は古くは「たるし」であった。
和語には語頭に濁音がなかったという事が、連濁をおこす要因の一つである。
「亀」という言葉をみてみると、「海亀・象亀」のように「がめ」と連濁をおこしても、混乱をおこすことはない。「がめ」という言葉がないからである。

三、和語は対になった言葉が多い。
 和語は対になったものは、完全なものとして好まれる。いろいろな言葉が対になって、使われている。
1.自動詞と他動詞(意志動詞と無意志動詞という別の分け方もある) 
集まる  集める     飛ぶ   飛ばす    見える  見る  
曲がる  曲げる     出る   出す     聞こえる 聞く  
回る   回す      付く   付ける  
続く   続ける     下がる  下げる  
散る   散らす     入る   入れる  

2.名詞と動詞の呼応 
 言葉は名詞から動詞が、動詞から名詞が作られる。
「メモ」から「メモる」ができた。
「欲張り 欲張る」「受付 受け付ける」のように、名詞と動詞が対になっている言葉もある。これを名詞と動詞の呼応という。
「名詞と動詞の呼応」に関しては、後に文法の項で詳しくのべたい。

3.代名詞 
日本語には、話者からの距離によって近い方から「こ そ あ」と疑問詞の「ど」で始まる代名詞がある。これらの代名詞は対というよりは、グループとなって距離を示す。
日本人は、内と外をはっきりと区別している。それは自分が属しているグループの中は内である。そのグループは家族であったり、職場であったりする。
最近では交通機関の発達により、世界に対して日本というグループも考えられる。
これ この こう    ここ  こちら こっち    こなた こいつ 
それ その そう    そこ  そちら そっち    そなた そいつ  
あれ あの ああ    あそこ あちら あっち    あなた あいつ 
どれ どの どう    どこ  どちら どっち    どなた どいつ  

4.「ある」と「いる」 
「机の上に本があります」「籠の中に鳥がいます」のように、「ある」と「いる」には使い分けがある。本と鳥ではどこが違うだろうか。鳥は生きているが、本は生き物ではない。命あるものには「いる」を使い、命のないものには「ある」を使う。植物は生きていて、命はあるが意志をもって動くことはできないので「ある」を使う。

四、擬音語・擬態語
和語は擬音語・擬態語が多い。これは形容詞が少ないこととも関係がある。
この項目もこの章の、連濁をおこさない言葉の説明でとりあげる。

五、日本語はテンスがはっきりしていない。
日本語にはテンスがないとよくいわれる。未来形がないのである。だから英語を訳す時に困る。「行くであろう」などと、苦しい訳をしていた。
未来は推量するしかない。
「明日行きます」と現在形が未来を兼ねる。
それに対して過去形はある。この過去形が過去を表すだけでなく、完了も表す。
「宿題をした」「雨が止んだ」「ご飯を食べた」等は完了の意味が強い。
古い日本語には「き けり つ ぬ たり」等の助動詞が使い分けられていた。「き けり」は過去を表し、「つ ぬ たり」は完了や存続を表した。
これが現代語では「た」のみとなった。従って「見た 来た 行った」は過去だけでなく、完了や存続も表す。
このように、日本語は過去・現在・未来というとらえ方よりは、完了したか未完了かというとらえ方の方が強い。現在と過去は現実の事柄である。未来は不明であるので、未確認である。
複合語においても特殊な接続をして、完了に関する意味を表す言葉がある。
それは従来連体形接続といわれた言葉である。
動詞や形容詞は名詞や他の動詞などと結びつく場合、連用形の形で結びつく。
「書き言葉 嬉し涙 聞き飽きる 当り年」等がその例である。 
「行く年 来る年」のような従来連体形接続といわれた特殊な接続がある。
数は少ないが何故あるのだろうか。これは連用形接続の言葉と意味が異なる。
文法の項で詳しく解説するが、「行く年 来る年」は未完了や未確認を表して連濁をおこさない。連用形接続は連濁をおこす言葉と連濁をおこさない言葉がある。
「若い人」「黒い霧」のように、形容詞の連体形接続といわれた言葉も連濁をおこさない。

六、日本語の単数と複数について 
日本語は複数に関しては、名詞の語尾変化で表すということはない。
「神」「花」と言葉を二つ重ねない場合は、単数を表す場合が多い。
「神々」「花々」となると、複数の神や花を表す。しかし、単数と複数の区別が厳密ではない。「花が咲いている」の場合、一つでも二つでも沢山でもよい。
英語のように語尾に「S」をつけて複数を表すということはない。
日本語は「多くの~」「少しの~」の様に言葉の前に追加して、量の多少を表す。けれども、花が一つか二つかは問題ではない。
「花々」の場合も、二種類以上の花を指しているのであって、花の数をいっているのではない。「桜の花々が咲いている」とは言わない。梅や桜は一本の木に数えられないほど、多くの花をつける。しかし、桜の花である。
英語では必ず「Cherry blossoms」と複数の「s」をつける。
「花々」は「百合と桔梗とバラ」のように、異なる種類の花の場合に用いる。 
キリスト教やイスラム教の神は一つである。大和には「八百万ヤオヨロズの神」がある。これは神様の数を数えたわけではない。八百も万も「多くの」という意味で、数にこだわりはない。古くは八や九や十でも「多くの」という意味があった。
「達」や「ら」は「子供達タチ 子供ら」「学生達タチ 学生ら」と複数を表す言葉である。しかし「友達ダチ」は一人でも二人以上でもよい。
「友たち」となれば、複数のみをあらわす。
「達」は古くは、主として神または貴人(公達キンダチ)だけに用いられる敬意の程度が高い言葉であった。それが時代が下るにつれて複数の形で軽い敬意を表すようになり、今では敬意はなくなった。敬語であった「貴様」や「お前」のように、敬意の度合は時代と共に下っていく。 

七、音便 
日本語には発音をしやすくするために、もとの音とは違った音に変る音便という現象がある。主に五段活用動詞の連用形におこり、イ音便・ウ音便・促音便・撥音便の四種がある。  
イ音便 書きて→書いて  嗅ぎて→嗅いで  咲きて→咲いて  
ウ音便 早く →早う   白く →白う   丸く →丸う
促音便 思ひて →思って  蹴りて→蹴って  持ちて→持って  
撥音便 畳みて→畳んで  死にて→死んで  呼びて→呼んで  
動詞活用語尾の「に」「び」「み」が撥音の「ん」になる。
この音便・特に撥音便がある為に、連濁が起こるのは発音によるものという意見があった。
しかし、連濁は日本語の中でもっと大きな働きがあることが分かった。
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by iwaoka3 | 2009-02-01 22:03