日本語の連濁は、長い間国語学界の謎とされてきた
by iwaoka3
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漢語と連濁
一、文字のはじまり(万葉仮名) 
 六世紀以前は日本には文字がなかった。しかし、それ以前にもわずかな文献資料(太刀銘や鉄剣銘など)が残されている。それらは大和言葉を書き残したものではない。
大陸との交流は古くからあったので、「論語」や「千字文」等の書物も伝来していた。

 六世紀末から七世紀前半(飛鳥時代)頃、漢字を使って大和言葉を書くという一大変化が起った。最初は「万葉仮名」と呼ばれたように漢字の音だけを借りて大和言葉を漢字で表した。漢字は中国では複雑な一字一音節(頭子音と韻からなる)の発音である。日本語と違って子音で終る音も多い。
万葉仮名は中国の音をそのまま借りて書き表した。
「麻 馬 摩 魔」等は日本語ではマであるが、中国語の発音では四声といわれる発音上の違いがある。それは英語の発音でも同じような問題がある。英語の「RとL」「KとC」の区別は、発音するのも聞き分けるのも、日本人にとっては難しい。
発音の体系が全く異なる複雑な漢字を使って、一字一音で大和言葉を表すのは大変な作業であった。
しかも、漢字の種類は非常に多い。できるだけ大和言葉を書き表すのに都合のよい漢字を選んで書いたと考えられる。 

 万葉集の最初の歌巻1・1(雄略天皇)は次の如くである。
「籠毛与美籠母乳布久思毛与美夫君志持此岳尓菜採須児家吉閑名告紗根」 
これが万葉仮名である。句読点もなく、「岳 家」のように訓も混じっている。これを、すらすら読むのは難しかった。当時の人が文字を持たなかった時は、記憶に頼っていた。従って、頭の中にある歌を文字で確かめればよかったのである。この歌を読むと次のようになる。
コもよ み持ち 掘串フクシもよ み掘串ち この岳オカに 菜ナ摘ツます児コ 家聞かな ノらさね」 太字は和語の音だけではなく、意味も表す。

 奈良時代には、上代特殊仮名遣いといわれる甲類と乙類の書き分けがあった。それは「き ひ み け へ め こ そ と の (も) よ ろ」の12(13)文字は、二種類の文字が書き分けられて間違えることはなかった。それは、当時発音が異なっていたことを意味する。甲類の「i e o」と乙類の「i e o」とそれぞれ母音が二種類あった。即ち、当時の大和言葉には母音が八つあったことになる。これは、「火と日」のような同音異義語の区別には、役立ったかもしれない。
「も」の書き分けは古事記(712)のみで、日本書紀(720)や万葉集(最終歌759年)では「も」の甲類と乙類の区別は失われた。甲類と乙類の区別は奈良時代既に混乱を見せはじめ、平安時代に入って急速になくなった。それは、日本に文字と共に高い文化が入ってきた時期であった。

 仏教一つだけをとってみても、寺院の建築のために多くの専門職人が必要である。木を伐ったり、削ったり、組み立てたり、瓦を作る為に、多くの材料や道具が必要となる。仏像や寺院の装飾にもいろいろな素材や職人が必要となる。大量の鉄や銅や金銀等の金属や石・玉等の鉱物も必要となる。織物も複雑な模様の絹織物等新しい技術が入ってきて、急激に多くの産業がおこった。いろいろな職業に携わる職人の集団が、でき始めたと考えられる。
社会が複雑になり、新しい制度や文化や産業等に対応して、複雑な概念を表現する必要も出てきた。

 奈良時代は母系社会であった。平安時代になると、儒教の考えと共に、次第に変化し始めた時期でもある。奈良時代は女性の天皇が国を治めた事も珍しくはなかった。平安時代になると、社会の表舞台は、男性のみの世界となった。
人々の活動範囲も広くなり、人間関係も複雑になった。
それにつれて、新しい複合語が多くなってきた。それぞれの大和言葉を使う集団の中で、複合語ができる時には連濁もおきた。それは、話し言葉の中で意味の違いや名詞と動詞の違いを表した。連濁は古くからあるが、社会の変化とともに、多くの新しい言葉が必要となった時、複合語と共に多くなった。
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by iwaoka3 | 2012-09-15 16:06