日本語の連濁は、長い間国語学界の謎とされてきた
by iwaoka3
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漢語と連濁  平仮名・片仮名の発明 
三、平仮名・片仮名の発明 

 大和言葉の文章を万葉仮名で書き表す煩雑さの解消のために、平安初期に仮名が作りだされた。万葉仮名が楷書体から草書体で書かれるようになり、それから平仮名ができあがった。片仮名は漢字の一部分から造られ、初めは漢字と共に補助的に用いられた。平安末期に書かれた今昔物語は漢字片仮名まじりである。
今昔物語  (巻四)竜樹、俗ノ時、隠形(オンギヨウ)ノ薬ヲ作レル語(コト)第廿四
 今昔(イマハムカシ)、西天竺(サイテンジク)ニ竜樹菩薩ト申ス聖人在(マシマ)シケリ。
初メ俗ニ在ケル時ニハ外道ノ典籍(デンジヤク)ノ法ヲ習ヘリ。其ノ時ニ、俗三人有テ語ヒ合セテ隠形(オンギヨウ)ノ薬ヲ造ル。其ノ薬ヲ造ル様ハ、寄生(ヤドリキ)ヲ五寸ニ切テ陰干ニ百日干テ、其レヲ以テ造ル薬ニナム有ケル。
片仮名は活用語尾や助詞に使われた。このような文字の性格上、片仮名は公の文字とは認識されなかった。そのため連濁においても片仮名は差別がある。「送りがな 平がな 真がな 万葉がな」等は、完全な文字と認められた。従って、正式な仮名の種類とされていて、「かな」が「がな」と連濁をおこす。「片かな」は文字としては漢字の一部分であり、文章では漢字の補助的役割の不完全なものとして特別扱いされた。そのため、片仮名の「かな」は連濁をおこさない。連濁はその言葉を使う集団の中で、一つの言葉に対する考え方が表れている。  
 平仮名は単独で用いられ、女性が使う文字として女手デともいう。男性は漢字を使っていたので男手デという。このように、漢字は男性が使うもので補助的に片仮名が使われた。
 わが国最初の仮名文日記といわれる紀貫之作「土佐日記」(935)の有名な冒頭の部分。「をとこもすなる日記(これは漢語)といふものを、をむなもしてみんとてするなり」のように、女性が書いたものと断っている。男性が平仮名を使うのは恥ずかしいことであった。当時男性は漢語で日記を書いた。激変の時代が過ぎ、世の中が落ち着くとともに漢詩から和歌に目が向きはじめた。天皇の命により、和歌集が編纂されることになった。
勅撰和歌集である古今集(905)は男性(紀貫之)によって、平仮名で序文が書かれた。これは平仮名が公に認められた最初のものである。それは和歌集という性格からで、漢語で書く訳にはゆかなかった。男性から女性に送る手紙(恋文 和歌)も仮名でなくてはならない。
しかし、平仮名だけで文章を書くと、意味が分りにくい上に読みにくい。徐々に漢字と仮名の両方を使って、文章を書くようになった。
 如何に漢語が全盛の時代であっても、日常大和言葉を使って生活しているのであるから漢語は外国の言葉である。平安時代が女流文学の時代であるといわれるのは、女性が大和言葉と仮名文字を自由に使えたからである。男性の名前が見られるのは和歌の世界位である。平安初期にできた最古の物語「竹取物語」や「伊勢物語」があるが、男性の手によるからか、作者不詳とされている。
「竹取物語」
いまは昔、竹取の翁といふもの有りけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事に使ひけり。名をば、さかきの造(ミヤツコ)となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。

 鎌倉時代になってようやく、男性の手になる大和言葉の作品「方丈記」「徒然草」等が現れた。
鎌倉時代、十三世紀初頭に成立したといわれる「平家物語」は、和漢混淆文といわれる文体で書かれている。和文調の文脈と漢文調の文脈とが入り混じっている作品である。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし」
 鎌倉幕府の公用日誌である「東鑑アヅマカガミ」は、典型的な和化した漢文で書かれている。これを「東鑑体」と呼び、変体漢文を指す。
「東鑑」  
「九日、辛卯、入道源三位頼政卿、平相国禅門(清盛)を討滅す可き由、日者(ヒゴロ)用意の事有り、然れども私の計略を以ては、太(ハナハ)だ宿意を遂げ難きに依り」
この後も長く、公的には漢語が中心に用いられた。それが現在に至って、政治・経済・法律用語を難解なものにしている。
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by iwaoka3 | 2012-11-26 15:40